増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

牛馬の道(二)

f:id:kosetu-tenkei:20210810133538j:plain然し多くの人の中には、死んでから牛になろうが馬になろうが、そんな事まで心配しては居られん。此の世は太く短く面白く暮らしたら、それで好いのだと云う様な考えを持って居る人があります。こんな人には、未来と云うものに対しては、少しも考えぬのでありますが、この牛馬の道と云うのは、未来ばかりにあるのではありません。此の世のもちゃんとあります。

病気になって歩く事が出来ない、四つ這いとなって這うて居る人があります。こんな人は此の世から牛馬に落ちる道を見せられて居るので、こう云う人は必ず死んだら、牛馬に落ちて行くのであります。これ此の世から知らして置く身に障り見よ、と仰せられた所であります。又多くの病人の中では、もう死ぬ/\と云うて、此の世から牛の様に、もう/\と云うて、日を送って居る者もあります。是なども来世の理を、此の世から云い現して居るのであります。

それ故或時教祖は、人間が死後如何なって行くかと云う事は、葬式の後から付いて行ったら、好く分かると仰せになりました。成る程葬式の後から行くと、会葬者が必ず死んだ人の、風説をするものであります。其の風説は当人が死んで居るのでありますから、遠慮気兼なしに云います。中でも惜しい人だった云うて、惜しがられる人もあれば、中には早う死んだので皆が助かると云われ人もあり、又甚だしいのになると、死ぬのは当たりだと云われて居る人もあります。惜しまれる人や、褒められる人は、来世必好い所へ生れますが、嫌われたり捨てられたりする人は、悪い所へ生まれて行くのでりあります。それ故葬式の後から行けば、其の死後が分かると仰せれたのでのあります。

 

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