これを良く分かる事柄について申しましたら、神様の御話を聞いて、慾の心持って通ると云うのは、大変間違った心使いである事が分かって居ても、どうしてもそれを取る気になれない。こゝで、一寸云うて置かねばならぬことは、此の事は悪い事だと知る事と、悪い事だから止めると云う心持ちになるのとは、非常な相違があると云う事であります。それで慾が悪いと分かっては居るが、それを止めると云う心持ちになれない。其の中に神様から身上の御手入になって今日か明日か分からぬ、抜き差しのならん日が来る。其の時自分は最早此の世を外にして、死んで行かねばならぬと思うた時、始めて死と相面するのであります。
其の時になって死んだと思へばと云う心が出て来ます。其の心になれば今迄取る気にならなかった、慾心を何とかして取って、助かろう云う気持ちなるのであります。故に人間は生死の巌頭に立って、始めて如何なる決心も出来るのであります。だから死は人間の心を最も美しくするものであります。
それで人間は日々に此の死が、自分の近い所になると云う心になっていたならば、いつも心がゆるむことがありません。従って自分の心が、日々向上して行くのでありますから、人間は其の死を怖れると共に、其の死に飛び込むだけの覚悟をして置かなければならぬのであります。
人間が我儘な心や勝手な心を出して、真実の理を守らんと云うのは、死が人間の側にあると云う事を忘れるからであります。人間が真実の心を失うならば、直ぐ死が現れて来るものである事を自覚して居たならば、不真実な心使いは出来ないのであります。
其所で教祖は其の理を教えて、人が真実の心で日々を通る様に、何時向いに出るやらと仰せられたのであります。神が迎えに来ると云うのは、即ち此の世から神様の御いでになる死の世界へ逃げ行く為に迎えに行くと云われるのであるから、死と云う事をいやな事でると思うて居る者は、日々真実の心を持って通らねばなりません。なぜなら神様が其の人の、天から授かった寿命を全うせずして、早く神様が御連れになるのは、真実がないからであります。
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