神様のこの道を御付け下されたのは、云う迄もなく人間が難儀苦労して居るのを助けたいと思召したいからであります。そこで人間から考えたら、如何しても助からぬと思われる様な病気や、如何しもて治りそうもない事情を治める道を御付け下されたのであります。故に此の道を聞いた人は、病気ならばその病気が助かるし、事情ならば其の事情が治まって行くので、世界から此の道を珍らしい道と云うのであります。
そこで此の珍しい助けと云う事を御話する前に、一応助けと云うことについて、申し上げて置きたいと思うのであります。御神楽歌によりますと、助けと云うのに四つあるのであります。それは唯助けと仰せられたのと、珍らし助けと仰せられたのと、不思議な助けと仰せられたのと、実の助けと仰せられたのであります。そこで単に助けと云うのは、最も廣い意味の助けでありまして、其の中には物を持って人を助けるのも、御道の様に心を改めさせて助けるのも、凡そ助けると云う事は、それが物質的であろうと精神的であろうと、総てこの内に含まれて居るのであります。
それから珍らしい助けと云うのは、世の中には無い助けであるから、珍しい助けと云うのであります。これを云い換えれば、数ない助けと云う事であります。次に不思議な助け云うのは、その内容から云へば、珍らし助けも同じ事でありますが、一度ならず二度三度と重なって来るから、それが不思議な事でありますが、一度ならず二度三度と重なって来るから、それが不思議になって来るのでります。故に人間が知恵の力では、如何しても考へ及ばれない助けであるから世界から不思議な助けで云うのであります。
所でこの二つの御助けは、人間の力で出来るものではありません。何故なら珍しいとか不思議なと云う事は、人間で出来んから珍らし不思議なのでありまして、人間で出来る事なら、珍しくも不思議でも、何でもないのであります。然るに多くの布教者の中には、この珍しい不思議な助けを、自分がした事の様に思う者があるのであります。この結果、次の実の助けをせなければならぬ様になって大いに困るのであります。
NEW☆天理教と現在主義 大平良平
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