増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

根を掘れ(二)

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是は一例に過ぎませんが、世の中にこうした事は沢山あるのであります。

これ要するに自分の根というものに気付かずに、徒らに枝葉末端の事のみに、心を注いで居るからであります。 

 そこで神様は心静めて根を掘れ、そして根が如何なって居るかという事を、何よりも先に調べよと仰せられたのであります。

そこで根を調べるには、一枚の葉一つの小枝からでも、その元へ/\と辿って行ったら、終いには根に行く様に、人間の心に一寸湧いた心からでも、探して行ったならば、必ずその根の思い至るのであります。    

例へば赤い色を見た時に、自分の心の如何いう心が湧いたかという事を先づ調べて、赤いダリヤの花を思い出したとしたならば、今度は何故赤いダリヤを思い出したのであるかと更に尋ねる。所がある時ダリヤを庭で作ったからでると云う事が分かれば、今度はまた何故ダリヤを庭で作ったかと尋ねて行くのである。斯様に次第々々に奥深く、問い質して行ったならば、必ずその奥から真の理が、即ち根の理が現れて来るのであります。

この根を掘る事が早くなれば、病気になって時には、病の根である心使い直ちに分かって来るのであります。単に自分の病気の場合に於いてのみではなく、人の病気についても、その根を見出すのは早くなって来るのであります。そして共に根が腐って居るのか、悪い虫が付いて居るのか見分けが付いて来ます。

 故に如何しても我が心の根は、お道を通る上には、是非掘って置かなければならんのでありまして、御教祖も御在世中に、根を掘れ/\と、常に仰せられて居たとの事であります。

  更にこれを御道の理の上から申しましたら、現在御道には四千近くの教会が所々にあって信徒はその教会に属して居るのでありますから、一寸枝に付い居る葉の様なものであります。所がその葉というのは直接付いて居る教会があって、出来たのでありますが、その教会は更に上級教会があって出来たので、其の上級教会は又本部がって出来たのであります。所がその本部も御教祖が神様の御霊を持っておいでになったからであります。

 斯様に次第々々に進んで行ったならば、この世はじまりの時から考えて行かなければなりません。然しそればお道の根でありますから、道の理を聞かして貰う以上は、そこまで突き留めて行かなければなりません。これが道の根を掘るというのであります。

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 10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護