人間自身の知って居る事は云う迄もなく、自分で思うたか思わぬか分からぬ様な事までも、神様には分かっているのであります。又人間が自分がして忘れてしもうて居ることでも、神様には分かって居るのであります。
例えば人間が人に対して、悪意を持ってしまった事なら、自分のした事は分かって居りますが、左様した悪意を持たずにした事、例えは自分の性質が非常に頑固であるとか、怒り易いとか云う性質の為に、家内の者が苦しんだとか、親族の人が困ったと云う様な事があります。左様した事は自分で意識してした事ではありませんから、悪い事をしたなどと思う人は沢山ありません。然るに神様は左様した事まで御承知になっている、時が来たなら身上にお現わしになるのであります。
それで御道では知らず/\に積んだ埃を、払わねばならぬと云うのであります。なぜならこれは悪い事だと思うてした事ならば、直ぐ懺悔出来るが、自分が知らぬ間に人を苦しめたり、困らせたりした事でありますから、容易に懴悔できないのであります。けれども人を苦しめ、人を困らせて云う事が事実である以上、その理が見えて来たら、懴悔するより外はありません。それで知らず/\に積んだ理を払わして頂くと云うのであります。
又こう云うのもあります。した事は非常に好い事でありましても、その為に埃を積んで居る人があります。こう云うのは誠の中の埃ちでも云うのであって、神様は好い事の中に悪い理があるから、懴悔がしにくいと仰せになて居ります。
此の道を長らく通った人や、教会の為に大いに尽くした人などは、長らく通ったり尽くした事は、好い事でありますが、長らく通ったと思う心又は大いに尽くしと思う心が、知らず/\の間に、人の心を苦しめたり困らせたりする事があります。これが好い事のなかの埃であります。
左様した小さなこと迄、神様は、皆見て居られるのでありあすから、如何なる事でも、我が身のしたり思うたりした事は、皆神様が御承知でいると思うて、改める所は思い切って改めて行かねばならりません。
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