増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

人間の掃除

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神様は人間の様に、言葉がありませんから、世界の人間の心の掃除をなさるにも、言葉で云う事は出来ません。そこで事実を以て、御知らせ下さるので、それが人間に取っては、病気となり災難となり、事情になって現れるのであります。故に左様した事が身に現れると、直ちに懺悔したらば助かるのであって、即ち神様の思召がそれで適うた事になるのであります。

 故に神様の方から云うたら、人間の病気や事情や災難は、心通りの守護をせられている事になるのでありまして、人間の方から云えば、心通りの理が現れて出ている事になるであります。それで神様は、口で云うよりもよう分かる様に身上に現してある、なれど悟りなきが残念と仰せられてあります。即ち人間は耳で聞く言葉は分かって居ますが、事実を語る言葉を聞く事が出来ませんから、それで悟れないのであります。

 斯様に神様は身上や天災などに依って、世界の掃除をなさるのであるが、その掃除ついては、内も世界も隔てないと仰せられるのであります。其の内と云うのは、其のお地場の事でありますが、今日ではむしろ廣い意味に取って、道の内と云う方が適当であろうと思うのであります。

 世界と云うのは世界並と云う意味でありまして、即ちこの道を信仰せない人々を云うのであります。そこで此の掃除については、道の内と云う方が適当であろうと思うのであります。世界と云うのは世界並と云う意味でありまして、即ちこの道を信仰せない人々を云うのであります。

 そこでこの掃除については、道の内の者も外の者も一様に掃除をするのであって、内だから責めないの外だから責めるのと云う様な事は無いのであります。悪い事をしたらば同じ様に、神様は掃除をなさるので、それを反対する者も可愛い我が子、念ずる者は同じ事、念ずる者でも神の胸の云う事を聞かねば、反対同様のものと仰せになって居ります。これを考へても理に隔てはない筈であります。

 然らば道を信じて居ても、信ぜぬ者も同じであるかといへば左様ではない。それは悪い事をした時は同じであるが、神様の為に働く者と、我が身の為に働く者とは相違があるのであります。例へば官史は政府の為に働くから、政府から保証をされて居ります。然し法律に反した事をすれば、同じく罪人にならねばなりません。それも同じで、神様の為に働く者は、日常神様から特別の理を頂いて居るのであります。と云ってそれだから悪い事をしてもかまはぬと云う訳には行かぬのであります。それと同じ様に神様の掃除にかゝって、懺悔をして行かねばならんのであります。

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