増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

女松と男松

f:id:kosetu-tenkei:20211111104532j:plain 女松と男松 女松男松と教祖がいわれたのは、女性男性を意味して居られるので、本教に於ては普通男女の区別がないとせられて居るのであります。然しこれは決し男性女性そのものの、区別がないというのうではありません。神様が人間を対せられたる時、そこに区別がないと云うのでありまして、丁度親が我が子を思う時に男の子だから女の子だからと云うので、そこに区別がないのと同じであります。

 然るに単に女松男松の隔てないと仰せられたというので、直ちに男女等しきものであるなどと思うのは早計であります。男女という性的区別を、神様が御分けになって居るだけ、その職分にも相違のある事は明らかで、それを一つに見ようとするのは、この性的区別を無視する謬見といはねばなりません。それは近来女性が向上して、以前には男子の仕事とのみ思われて居た事を、今日では女子がす様になった事は事実に相違ありませんが、それだからとて男女が同じだとこう事は出来ません。

  教組が男女隔てが無いと仰せられたのは、要するに神一条の世界に於ては、区別がなという事を仰せられたのであって、人間一条の上に立って考えたら、厳然として区別があるのであります。すれば何故神一条の世界に於いては、区別がないと申しますると、男であろうが女であろうが、真実の心になって神様に御受け取り頂き、その神様の御働きを受けるという上からいへば、何の区別もないからであります。故に男女でろうが、老若であろうが、その点に於ては神様としては、少しも分け隔てならないのであります。 然るに多くの人は、この神一条に於て男女の区別がないと仰せられのを思はずに、単に教祖は男女の隔てがないと仰せられたという事のみを聞いて、男女に区別はないと速断する者が多いのであります。これは神一条と人間一条とを混同している誤解であって、その結果は恐るべき事が生じて来るのであります。

 現に世界に於ては、この過ったる思想にかぶれて、男女同権だとか、婦人問題だとか喧しく騒いで、社会の安寧を乱す様な思想を流布して居る者が沢山ありのであります。 然し神一条の於ては、差別がないのでありますから、神様は男性でるから、特に御守護なさるの、女性であるから悪い事でも御許しになるという事はないのであります。何れにしても、皆神様の思召から、この道へお付けになったので、道にお付けになる以上、その者には神様の思惑が、多少は懸かって居るのであります。

 即ちこれをいいかへれば、男性として必要な仕事、女性として必要な仕事を、それぞれ神様が見分けをしてお使いになるのでありますから、自分は女だから、自分は男だからという様な事は心に持たずに、働かして貰はねばならぬのであります。

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10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護

 ☆病諭し編⇒八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本