増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

根の力(一)

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外国と日本とを、一本の木に例えて、外国は枝先であって日本は根の国であると、教祖は仰せられたのは、皆知って居る通りであります。その木の根をさかえ現すと仰せられるのは、日本は世界の根の国でると云うことを、次第に世界へ現すと仰せられるので、即ち日本が世界の凡ての力である事を、世界に知らしめると仰せられるのであります。

然らばどうして神様が、それをなさるのであるかと申しますと、それには月日が元へ、立ち帰られると云うのであります。元と云うのは人間始め、世界を造られた元の屋敷に事でありまして、即ちお地場へ帰られるのであります。すれば帰られると云う以上は、それまで他に行って居られたのであるかと云へば、正しく他へ行って居られたのであります。それはどうして分かると申しますとこう云う事に依って分るのであります。

神様が人間を造られて以来、人間の成人に応じて、様々なものを与えて陰から守護をせられた。仏教も基督教もその他の教えも、皆神様がその当時に応じて人間の悪気を圧える為に付けられたものであります。故にこうした教えを開かれるには、神様は屋敷を離れて他へ行って居られたことを現して居るのであります。

そこで一寸申して置きますが、釈迦は仏と云って世に現れた事であります。仏とは印度では覚者と云う意味であって、神様の御心を悟って教を開いたのであります。従ってそこには人間の努力が、多分に含まれて居るのであります。然るに基督は我は神の愛子なりと云うて、教えを説いたのであります。この点から見ますると、基督教の方が神に近いと云う事できるのであります。所が教祖はこれに反して、この度は神が表へ現れてと仰せになって、我は神なりと云う自覚の下に、教を立てられたのであります。これを一軒の家で云へば、奉公人が主人の心を悟って来たのと、子供が親の代理で来たのと、親自ら出懸けて来たのとの相違があるのであります。そこで親が現れた以上、もうそれ以上のものが出て来る筈がないのでありますから、この道を特に世界だめの教と云うので、年代の上からだめの教と云うのではありません。

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10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護

 ☆病諭し編⇒八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本