増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

文句かえたい

f:id:kosetu-tenkei:20220204123539j:plain

 人間の心というものは、神様から御覧になれば、殆ど泥水の如きものであります。何故ならば人間の心には慾の心が、充満しているからであります。道を信仰して朝夕に自分の心を、真実にせなければならぬと思うて居る者にさへ、時には表へ現せない様な、埃の心が出るものでありから、少しも自分の心改めようと云う考えの無い、世界並みの人の心は、実に濁り果てた汚い心に見えるものは当然であります。

 何故ならば人間は殆どその心を、全部欲の為に占有せられて居るからであります。然し欲と云っても、何も金銭の慾のみを云うのではありません。物を知りたいという知識慾もあれば、異性を求める色欲もあり、地位や名誉を望む名誉慾もあるのであります。こうした欲心が、四六時中休む間なく、人間の心の中で働いて居るのであります。それが神様が見れば、濁ったものになるのであります。

 こう云うとそれでは慾心を捨てたら、人間が向上心を失ってしまうと云う人があるかも知れません。けれども向上心があって、人間はどれ程の幸福を増し、生命を増進したかと云へば、少しも向上もせなければ進歩もして居ないのであります。唯悪く変化したに止まるのであります。

  何故ならばこの慾心即ち欲する心がある以上、この世が苦しい世界になるからであります。この世は苦の世界だ、娑婆だ地獄だというのは、要するに心の内にこの欲する心が多いからであります。もし人間の心から、この欲する心全部取り去ってしもうたならば、この世は実に愉快な世界になるのであります。故に人間は何よりこの慾の心を、離す事を思わねばなりません。

 何故なら凡ての物を捨てる所に、助かる道があるからであります。もし持って居る物を捨てずして、神様に救うて貰おうとするのは、川に流れて居る者が、神様から御出し下さる助の綱を持たずに、自分の持っている木の片を離さずに居る様なもので、助けて頂く事が出来んのであります。されば人間は凡てを捨てて、唯神様の御手にすがらねばならんのであります。

 所が現在の人間は却ってこの慾心の多いのが、豪い様に思って慾に集まるのであります。都会などは沢山魚の居る池へ、麸を投げた様な有様であります。従って人間の心も、小さい表面許り美しう見せる様な、虚偽に満されて居るのでありまして、都会の建築は正にその心理状態を、表に現して居るのであります。恐らく今後益々こうした傾向が進んで、人間は次第に早く死ぬに至るであろうと思われる。何故なら主たる生が、従たる商売の奴隷になって居るからであります。

 そこで神様はこの世の中の有様を一変して、心が主となり日々楽しく暮らす事の出来る様な世界にしたいと思召して居られるので、気の毒ながら文句変えたいと仰せられたのであります。

 それは人間の心から欲心を捨てさせて、生を楽しむ様な穏やか心持ちになって通る様にしたいと思召しされて居るのであります。それが又神様がこの道を御始めくだされた目的なのであります。

 ※元の神、実の神々と出会う処ふるのさとへ!

10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護

 ☆病諭し編⇒八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本