増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

道は我が事(二)

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それ故我々が教祖の理を生かして行くには、我々がそれを行うて行かなければならぬものであります。それには教祖を天理教の教祖とせずして、我々がこの世へ生まれて来て、苦しむのを助ける為に、教祖があの道を御通り置き下れたのであるから、自分は是非あの道を通らせてと頂かねばならぬと云う心にならねばなりません。すれば教祖に淋しいお心を持って頂かずに、喜んで頂く事が出来るのであります。

これは教祖についてばかり云うのではありません。この道の事は何でも、皆我が事と思うてしたら、我が事になって来るのであります。私が一昨年青年会を組織致します時に、本部青年に下された御差図を読んだのであります。その時私はこれは、自分が読む為に神様が先から、御出し置き下さった様に思うたのであります。そしてこれは必ず出来ると信じて、行わして頂いたのであります。その差図は三十一年の差図で、約二十年も以前のものでありますが、それを行うたら、それが今の実となって来たのであります。

斯様に如何なる事も、神様の事は我が事と思うてしたら、我が事になるのでありますから、何をさして貰うにも、これは神様の為だとか、教会の為だとか思わぬ様にせなければなりません。尚この理を押しつづめて申しましたら、この道を通る以上は、それは如何なる事があろうと、例へば御話を聞く様な場合でも、仕事をする様な場合でも、これは多くの人で聞くのであるとか、多くの人でするのであるとは思わずに、如何なる事を聞かし命じて下さるのも、皆神様が自分の為に聞かせしも、仕事もさせて下さるのであると思うて行かねばならぬのであります。左様すれば終には我が事になって来るのでありまして、これを云いかへたら神様の仰せられた通りに、我が身がなって行くのであります。

※元の神、実の神々と出会う処ふるのさとへ!

10月26日秋の大祭記念十柱の神の御心と御守護

 ☆病諭し編⇒八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本