一軒の家に於て、其の主人公たる者が、不愉快な顔をして居たならば、家族の者は決して心の勇むものではありません。主人が面白そうな気持ちで暮らして居るのと、一家の者の心持ちよく暮らせます。是から考へますと、家族として自分が日々勇んで通ろうと思うたならば、その主人公を勇まして通ると云う事が、自分の勇み喜んで通る元であります。
この道理は単に一軒の内に於てのみではありません。人間と神様との関係に於ても同じことであります。自分が如何に喜ぼうと思うても、神様が御勇み下さらなかったら、勇むことが出来ないのでのあります。故に世の中は喜んで通のが、何より身の為になると云う事を知って居りましても、神様を喜ばす事に依って、自分が勇めるのでありと云う理を知りませんから、勇んで通る事が出来ないのであります。
そこで喜んで通れないと云うのは、人間の心と神様の御心とが違って居るからであります。だからよく自分の心を内察して、神様の御心に添うて通る決心をしたならば、心が勇んで来るのであります。そしての其の心が勇んで来たなら、その勇んで来た事が、神様の御心に添うた証拠になるのであります。故に懴悔と云うものは、心から喜びの出て来る所まで懴悔せなければ、真の懴悔にならないのであります。
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