身上は神様から人間が、貸し与へて頂いて居るものでありますが、心一つは我が理でありますから、自分の思う様に使へるのであります。即ち好い方へ使おうと、悪い方へ使おうと、人間に自由にお与え下されて居るのであります。
この自由を神様から人間が頂いて居ればこそ、楽しみもあるのであって、同時に苦しむ理も出て来るのであります。従って人間が如何なる心使いをしようとも、神様は如何もなるとことが出来ないのであります。
それは人間に於ける親子関係も同じことであります。子は親が生んだには相違ありませんが、それはただ肉体を生んだだけで、心を生んだと云う事は出来ません。だから子がどんな心を使おうと、それは子の自由でありまして、親だからと云うて、心そのものはどうする事も出来ません。悪い事をすれば親は其の肉体を苦しめて、其の心を改心さす事は出来ますが、それでも本人が改める心にならなければ、親が代りに改める云う訳にはまいりせん。
それと同じで一度人間に自由をお与えになった以上、神様もどうする事も出来ない。それで病気にしたり苦しみを与えて、改心をおさせになるが、それでも其の者が神様の思召通りなれなければ、仕方がないとのであります。又その子である人間に於て、神様が如何に思召し居っても、人間が神様の思召し通りにならなければ、それも仕方ないのであります。
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立教185年10月26日秋季秋季大祭記念
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