親が子の将来を思うて、子供が未だ小学校へ通うて居る時から、行く末では大学まで入れてやろうと、其の学資を準備して、子供の成人を待ち兼ねて居ても、親の心子知らずで、少しも勉強もせなければ、学校へ行っても落第する。
悪い友達を作って、悪い所へ遊びに行く様な行ばかりして居ては、折角の親の心も水の泡になっていまう道理であります。それも同じ事で神様が我々の行末まで、種々御心配下れて、其の成人に応じてこうもうし、ああもしと云う様に、待ち兼ねて居て下さっても、子である我々が神様の思召に添わず、勝手な道ばかり通って居たら、神様の思召も何の役にも立たぬことになるのであります。
それで子供が悪い事ばかりして、親の心通りにならない様になれば、親が必ず二つの方面について考えるのでりあります。その一つは若し本人が何かの機会に目を醒まして、今迄の事を改め、好い方へ傾いて来たならば、こうもしてやろうと云うのと、今迄の事を改め、好い方へ傾いて来たならば、こうしてやろうというのと、今一つは若しその行が直らずに、尚悪い方面に進む様な傾向があったら、その時は長男ならば廃すとか、弟なら勘当するとか、悪くなった時の事も考えて、それに処する方法を定めて来るのであります。左様云う場合には、親はあまり叱りもせなければ本人の意思通りにさして、本人がどういう心になって来るかを見て居るのであります。それも丁度同じでりますして、人間が好い方へ行くやら、悪い方に行くやら、未だ定められぬ様に時には、神様も人間のする所を見ておいでになるのであります。
そう云う時には少々悪い事をしても、神様はお叱りならないのでのあります。又善い事をしても、左程に好い理が見えて来ぬのであします。是は本人の心が定まって来ないからであります。然るに中には自分が左様云う場合に居る事を思わず、悪い事をしても神様がお叱りにならない所から、つい人間に増長して、神様は無いものだと何とか勝手は考えを出して、悪い方へ傾き易いのであります。
然し悪い方へ傾いたと云う事が決まれば、神様は直ちに理を御現しなるのであります。故に神様がぢっくり見ておいてになる間が、我々に取っては一番大切な時ですから、好く慎んで通らして貰はねばならぬのであります。
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