増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

神一条

地場を辞する人々へ(五)

「用木に神が入り込む」と神様は仰せられています。心に神が入り込んで働いて下さるのでありますから、人間思案の及ばぬことが見えて来るのは、何も不思議ではないのであります。所で、神様に入り込んで働いて貰はうとすには、此方の心を綺麗に掃除して置か…

信仰の向上(二)

(二) 人のことを聞いてそれを気にしているより、仲良く暮した方がいくら良いか判りません。疑いや誤解と云うこと程、怖ろしいことはありません。誤解からは色々な間違いが出来るのであります。それを取去った心が極楽であります。心の底から喜びが出来るの…

信仰の向上(一)

宗教と云うものは、形の上からどうせよかうせよと、やかましく云う様なことでは、本当のものではありません。黙っていて、それが出来て来るの本当であります。 世の中のこともそうであって、皆目に見えぬ処から出来て来ているのであります。人間もその通りで…

神一条の道 三(二)

教組は御在世中に多くの人を助けておられるが、助けられたからと云って皆ついて来たかと言へば、殆どついて来なかった者ばかりだったのであります。ついて来た人は僅か二十人位に過ぎなかったのであります。 その二十人のものが教祖の精神を受けついで、道を…

神一条の道 二(一)

この教祖五十年の道が分かっていても、分かっているだけでは何にもならぬのであります。この道を習って行かなければ、その道の尊さは現れて来ないのであります。 どんな立派な手本があっても、それを習はなかったら何にもならないのであります。それを習うか…

神一条の道 一(二)

外に道を求めるのではなく、目に見えぬ心の中に求むべきであります。目に見える世界の道はいくらでもあります。けれども一名一人限りの心を運ぶ道、神に到達する心の道はただ一つのであります。そこでこの道はうわべの道ではありません。心一つを治めて行く…

神一条の道 一

神一条の道と云うのは、人間心でないものを云うのであります。すべて何事を見ていても聞いてもそこに神を見出すと云うのが、即ち神一条であります。たとへ野の花草の一葉を見てもそこに神を見出す。又家庭の事情を見て、身上の障りを見てもそこに神を見出す…

一つの理 五

こういう理は、一寸分かりにくい様でありますが、要するに誠一条の道より無いのであります。術もいらなければ法も要らない。誠一つの理が心に治まったならば、その誠の心に、天の理が映るのであります。人間から云へば、浮かんでくるのであります。それを人…