増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

借物(一)

 

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人間は十柱の神々により造られており、その心遣いの理によって神々が守護している

天啓によれば人間は永劫の昔神に創造さられたのみならず、宿し込むのも月日、生まれ出るのも月日の守護によってこの世の生を得、その生存も神の守護あって始めて全うするを得るのであるから、人間の身は神によって造られ、神によって保持されているのである。これ人間の身は神よりの貸物、人間からは借物と仰せられたゆえんである。

身上が神よりの借物であるならば、その借主は誰であるか、これはいう迄もなく人間の霊にして、霊は神自らの分霊であるから、人間の霊に於て生き、霊を以って身上を使用すれば、身は自由用を得るのである。霊に於て生くる小児に年と共に心が生ずる如く、人間も永き生死の因縁によりて心を生じ、その心を以って身を使用するに至った、その心が普通いうところの我の内容なるが故に、心が一つが我がの理となる。

我がの理である心に霊そのままの働きなす場合と、霊と離れて働く時がある。霊のままに心が身を使用する時、身は自由用を得るが、霊と離れて心が我が身を使用するば、身は自由用にならぬ。何故ならば身は一人限りその霊に貸し与えられたので、我がの理たる心は借主でないからである。従って身は霊の通りになっても心通りにならぬ。これ人間より見て神の貸物たる実証である。