天保八年十月二十六日、長男秀司殿が田に出て麦蒔きに従事中、突然足痛を感じて帰宅さられた。医者を呼んだり、膏薬を貼ったり手を尽くしても効験がないので、長瀧村の市兵衞という修験者を招き、祈祷を依頼せられた所、不思議にも全快せられた。
然し暫く時日を経過すると、又足痛が起こるので、起これば修験者を頼み、頼めば癒るという工合で、甚だ不思議な病気であったが、八、九回もこれを繰返す間に、一ヶ年は暮れて行った。この年の十二月十五日、五女小寒子様が出生された。
天保九年十月二十三日、秀司殿の足痛又また起こり、教祖も腰痛を病み、夫善兵衞殿も眼疾に罹られた。幸いその日は亥の子にて隣家に来れる市兵衞を招き祈祷を乞われたのである。
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