桃尾山龍福寺は、真言宗高野山派に属し、十一面観音菩薩を本尊としていた。当時の伽藍は東西1,100m、南北660mと広大で、明治初年まで学侶方、行人方に分かれて十六坊あり、堂々たる山寺をなしていたが明治時代の廃仏毀釈で廃寺となった。
「桃尾寺記」によると、奈良時代(和銅年間)に義淵(ぎえん)僧正がこの地に至り、小堂を建てたのが始まりとされている。その後建立から約20年後の天平年間には行基が義淵の後を慕ってこの地を訪れ、堂塔を建立し、大伽藍を完成した。しかし、後にその堂塔も荒廃し、約80年後の天長年間に弘法大師が訪れてその様を嘆き、新しく精舎を興して真言密教の大道場に再興した。行基も空海も物部族縁故の地に出自をもつ。
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