増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

十柱の神々と十種ノ神宝についての考察(四)

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大和の三大名刹と呼ばれていた桃尾山龍福寺、現在あるのは大親寺と寺名を変更している。天皇制神話(支配体制神話)の神武東征神話である「古事記」「日本書紀」にあらわれた神道を国体とするため、神武東征に先立ち、饒速日尊が降臨したと伝えられてきた桃尾山の寺院は明治政府に特に念入りに徹底的に破壊され、魂振りの神とそれに連なる神道や寺院は弾圧、破壊の対象となった

 桃尾山龍福寺は、真言宗高野山派に属し、十一面観音菩薩を本尊としていた。当時の伽藍は東西1,100m、南北660mと広大で、明治初年まで学侶方行人方に分かれて十六坊あり、堂々たる山寺をなしていたが明治時代の廃仏毀釈で廃寺となった。

「桃尾寺記」によると、奈良時代和銅年間)に義淵(ぎえん)僧正がこの地に至り、小堂を建てたのが始まりとされている。その後建立から20年後の天平年間には行基が義淵の後を慕ってこの地を訪れ、堂塔を建立し、大伽藍を完成した。しかし、後にその堂塔も荒廃し、約80年後の天長年間に弘法大師が訪れてその様を嘆き、新しく精舎を興して真言密教の大道場に再興した。行基空海も物部族縁故の地に出自をもつ。

 

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