増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

真実を需(もと)めよ(二)

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斯様に心から真実の理が湧く様になれば、人の助かる道が、自然に分かって来るのでのであります。丁度清水で物を洗えば綺麗になる様に、その人の話しを聞けば、自然心が洗えて助かって行くのであります。故に何はさて置いても、自分の心の真実を見出さねばなりません。

 それには我々は自分の眼を、自分の内の方へ向けねばなりません。眼は月日の理を表しているので、心の働きは皆眼に表れて来るのであります。即ち眼は物を見るとともに、心の理を現すのであります。剣術の進んだ者が互に眼を見合うというのは、心の働きが第一眼に現れるからであります。故にその眼を内に向けて、我が心に如何なる思いが湧くか、如何なる考えが出るかと、日常に心を見つめて居なければならん。そして悪い所は捨てて、真実の心を探し出して行かねばなりません。こうして我が真実を見出したならば、他人の心にある真実も、見出す事が出来るのであります。何故なら我が心一尺掘った者には、人の心を一尺掘る事が出来、我が心を見て居る者は、人の心が見えて来からであります。故にお道では我が心を見分けて、人の心が見分けらえる様になったら、先ず一人前と云うのであります。

何故なら人の心が見分けが付くから、人に理が説けるのであります。教理のみで見分けが付かなんだら、人を助ける事が出来ない、心が澄んで居れば心の理が映って来るから、人の家人の身に現れた理の結ぼれが解けるのであります。故に教理は此方になくて先方にある。此方の其の理を映す、澄んだ心の鏡を持って居ればよいのであります。

故に真を尋ねると云う事は、他の言葉で云えば、我が心を磨くと云う事であります。心を磨くのは物をつけるのではなくへらす事であります。へらして行けば光が出て来るので、即ち心に光が添うのであります。心に光が出れば、人が見顧るから、それを教祖は後光と仰せになったのであります。

 兎に角斯様して心の真実を捜して置けば、其の理が働いて人が助かるのであります。理が働くとは人の心に、其の言が生涯付いて廻るので、それは五分板へ一寸の釘を打ち込んだ様なものであります。又其の真実から湧く理は、天の理でありますから、聞き手もそれを聞けば話す者も其の理を聞くので、即ちそれは話す人と聞く人との心が、打ち合うて現れて来る、其の時の理となるであります。故にどうしも此の真の理を尋ねて、それから布教に出なければならぬのであります。

 

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