増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

神は支配者

f:id:kosetu-tenkei:20211111104436j:plainこの世界が神様の御支配に依って出来て居るという事は、今更改めていう迄もない事であります。然し人間の世界は、この神様の御力ではなく、人間の力に依って支配されて行くものだと、思うて居る人が沢山あるのであります。現に学者は、自然を人間が征服して行くのだと云うて居ります。即ち人間が文明の利器を発明して、それに依って自然界を次第に征服して行くのだと、豪語して居るのであります。

然し更に深く考えて見ますると、人間が文明の利器と称するものを発明するという、そこに神の仕込みがあるのであります。何故ならば思いつくという事、或は心に浮ぶという事、それが即ち神の教示でありますから、やはり文明の利器も、神に依って人間が導かれて作ったのであります。

例へば一本の木に美しい花が咲いたと致します。木自身からいうたならば、木が成長して美しい花を咲かせたのに相違ありませんが、同時に又春という気候に出合はなかったら、花を咲かす事は出来なかったのであります。して見れば又一面から、春が花を咲かせてたのであるという事もいえるのであります。これと同じ道理でありまして、成程人間が発明したのに相違なくとも、然かせしむるに至らしめた物がなくてはならんので、それが即ち神様なのであります。

尚これを実際の例について申しましても、学術上で最も大なる発見者として讃えられて居る、ダーウィンが進化の理法を発明した時と、その時代を同じうして、佛国の或学者もこれと同じ研究をして居たのであります。又近頃でいへば、飛行機が発明せられる時でも、英国でも佛国でも米国でも、同じ様に研究されて居たのであります。斯様に同時代に於て、同じ事が研究されると云うのは、そこに神の不言の教示があるという事に、思い至らねばならんのであります。然し学者は左様はいわずに、これは時代の然らしめたのであるというのでありますが、これは木に花を咲かせたのは神でなくして、春であるいうのと同じで、一応道理のある事であります。すれば今一歩進めて然らば、春という気候若しくは左様した時代を造ったのは誰であるかといへば、それは最早不明である。それは神様であるというより外はないのであります。

斯う考えて来ますると、人間が自分の手に依って造って居ると思うて居るこの人間世界も、その後には眼に見えない神様の御守護があって、始めて完全に行われて行くのであります。すれば自然界が神様の直接の支配である事はいう迄もなく、人間の生活も凡て神様の支配でるということが出来るのであります。それを人間のみの世界と思うから、大きい間違いが生じて来るのであります。故に凡てが月日に照される如く神様の支配の下にあるのであります。

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病諭し編八方八柱の神人体御守護所細密並に悟り諭しの根本