神様のお道と云うのは、決して変わるものではありません。理は末代と仰せられた如く、天の理と云うものは変らぬのが天の理であります。然るに道が変わると仰せられたのは、道そのものが変わる云う意味ではありません。道そのものは変わるもではなく、通る道すがらが変わると仰せられたのであります。
例えて申しますれば、人間が一筋の道を歩くのと同じでありまして、道そのものは昨日歩いた道も、今日歩く道も変化のない道ではありますが、歩けば歩いただけ、其の周囲の景色が変わって来ます。同じ一筋の道の中にも、山道になって通り悪い様な道もあれば、野原を横ぎって行く様な道もあり、林の中を通る様な道もあります。けれどもそれは道すがらが変わっているので、道が変わって居るのではありません。
御教祖の御一生に就いて考えましても、御教祖の神憑があって、夫様が御帰幽になる迄の道と、夫様が御帰幽になって、谷底の御苦労を通り下れた頃の道と、信徒が四方に出来て来た時に御通り下さった道と、真実の道と云う上から申しますれば一筋でありますが、道すがらに於ては、色々変った道すがらあったのであります。
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