しかるに多くの世界の人を見ますと、我が身が苦しいか、困るとかいう様に事が出て来ますと、直ぐもう今度は助からぬとか、死ぬ方がましやとか、我が身から挨拶している様な人が多いのであります。それを神様は我が口からいへば、是非はなかろうと仰せられました。
かように自分の事を思うのは、即ち神様を信じていないからであります。神様は助け一条の御方で、息ある間は神の守護と仰せられて、身体に温みと水気がある以上は、体内に神様が入り込んでいて下さるのであるから、どんな守護も見せて下さるのであります。故に神様は必ず助けて下さるものと、思うていたらよいのでありますが、神様に対する信仰の念が薄い所から、つい神様という事を忘れて、勝手な心使いをするのでのあります。
そこでそうした心の人の為に、神様は身上ばかりではなく、事情の上についても、八方ふさがりというか、何をしても思う通りにならぬ、という様な不幸な境遇に落ちても、決して心を倒すに及ばぬと仰せられたのであります。何故なら神様の自由自在の御働きを以て、さあといえば一夜の間にもどんな働きもして下されるのであるから、その神様にもたれて我が心を踏ん張って、通り抜けてさして貰う心にならなければなりません。
又神様も助け一条に御心であらせられますから、人間の方で苦しみに心を倒さず、踏ん張って通ったならば、神様も踏ん張って必ずお助け下さるのであります。そこで神様はその事を、人間に知らす為に、如何なる苦しみがあっても、親が踏ん張るから、それを承知していよ、慈悲深く仰せ下されたのであります。故に我々は苦しい事や、つらい事が出て来たならば、この御心を思い出して、神様は必ず助け下さるという確信を以て、我が身から心を倒したり、悪いあきらめをしたりせぬ様にして、飽く迄神様に踏ん張って頂く為に、我が身からも踏ん張って行かねばならぬのであります。
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このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん
⇒欠損したお筆先の考察
百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
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