神様というものは、人間の如く限りあるものではありません。全知全能で如何なる事でも知らぬ事なく、出来ぬ事はありません。それ故人間が神様に御願いしたならば、神様は必ず人間の望むものを、御与え下さるのであります。それは唯単に人間が、病気を助けて貰うという事だけではありません。金が欲しければ金も下されば、家が欲しければ家も下さるし、土地が欲しければ土地も下さるのであります。何故ならこの世の中の物は、何一つとして神様の物でないものはないのでありますから、この世に存在するものならば神様の意思のまに/\御与えになる事が出来るからであります。
しかし神様は何でも願えば下さるからというて、そんなら金を下さいというて下さるものではありません。何故ならそれは必要という事がないからであります。必要の無い物を神様が下さらぬのは、神様が人間を可愛いと思し召すからであります。これを丁度例えて見ますれば、子供が学校の必需品であるとか、是非無くてはならぬものを買うてくれと望んだならば、親は、必ずその子供の望み通りのものを、買うて与えるものであります。しかし必要でないものを欲しがったり、望んだりした時は、決して買うてはやりません。これは子供に無駄なものを与えると、却ってその性格が悪くなるから、その性格を悪くせしめない為に、神様も不必要なものは決して御与え下さらぬのであります。
★【門外不出資料】中山みき高弟子の十二下りのみぐら歌の解き分け
☆やまと探訪☆
☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
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