けれども信仰の中心制度になるべき教会組織に至っては、以前の元のまゝに制度と踏襲して、大教会、教会、分教会、の如き外形的要素には多少の変遷はあったとはいへ、その根本的組織に於ては、全然如如等の変革をも見ず、そのまゝ今日まで推進して来たのである。
斯くの如く、本教の発達と共に、漸次その制度をにに幾多の変遷を重ねて来たのあるが、翻って考えれば、この制度なるものは、果たして何時まで固定せしめねばならぬものであるか否かは、大いに考うべき問題である。制度と云うものは、丁度人間の着ている衣服の様なものであって、衣服は何時も同じ物ばかり着けて居らねばならぬと云うことはないのでる。時に応じて季節に適ったいるに変へねばならぬ様に、制度そのものを、亦その時代に変化に応じて変えて行かねば、却ってその制度のために、活発な精神の運動を遮られて沈滞を来す虞があるのである。この意味から見て、現在の時代もと本教現在の制度とは果たして調和しているのであろうか、これ実に研究を要すべき問題なのである。
前にも述べた様に、本教現在の制度は内から創造せられ発達して来たのではないのであって、当時の時代に余儀なくされて制定されたものなのである。
ところがその制度に制定さられた明治二十三年頃の時代と、大正十年の今日の時代とは、社会の情勢に於て大いなる相違がある。第一その当時於ては、貴族的に、封建的、官僚的な思想が充満していたに対して、今日の時代は民主的、平民的、平和的な思想が横溢しいたのである。故に現在本教以外から本教を観る時、それらの人は本教々義乃至信仰に於ては、共鳴する多くのものを見出すであろうが、しかしその制度に対しては、甚だ不愉快に感じを抱くことには、拒むことの出来ない事実なのである。これによって観れば即ち制度が精神を抑圧している点の、少ないのを感ずるのである。従ってこの際、制度の調査を、行うことは本教として緊要なことであるのである。
しかしながら、制度は常にその精神より表はれねばならぬものである。故に新制度は新精神より表はれ、新しい施設は、新しい信仰から生まれのである。
従ってこの際、制度の改善改革に先立ちて、まづ吾人の精神を教祖立教の大精神に立返らすべき必要があるのである。第一その一つである地場の理を現すには、各人の心に本部をして尚一段の深義を闡明せしむると共に、また本部に関する一切のことを、より以上に重要視せしむる様に涵養しなければならぬ。
第二としては、助一条の目的を達成せんが為めに、受訓をして一層有意義ならしむべく、その方法を講ぜなければならぬのである。
かくして、真の信仰が復活し、新時代と新社会に共鳴する様な新精神の上に立って、制度が表現して来るのである。ここに於て始めて本教立教の精神を宇内に宣揚することが出来るのである。
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