増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

神一条の道 一


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 神一条の道と云うのは、人間心でないものを云うのであります。すべて何事を見ていても聞いてもそこに神を見出すと云うのが、即ち神一条であります。たとへ野の花草の一葉を見てもそこに神を見出す。又家庭の事情を見て、身上の障りを見てもそこに神を見出すと云う如く、世の中の総てのことに神を見出すことが出来れば、それが神一条と云うのであります。又神一条によって現れて来ること、成って来ることが分かったら、その人は神一条の世界に入っている人であります。

 教組に天保九年に神憑りがあったのは、神一条の世界をこの世に現したいと云う神様の御心だったのであります。神を知り神に近づく人が道の人で、その他は世界の人であります。けれども、この道を信仰していると云っても、神を目的としないものは偽善者であり、又神を偽るものであります。この道はどこまでも神を目標とし、神に近づいて行く道であります。

 人間が神に近づいて行く道は、教祖のつけられた道であります。この教祖のつけられた道すがらを通らせて頂けば、人間は神に近づくことが出来るのであります。どうしても私等はこの道を通べきでるか、この道はどこにあるのであるかと云へば、此の道は各人の心の中にあるのであります。

 

令和4年4月30日元の神、実の神である大龍神・くにとこたちの命様がやまとにご出現される