教会の発達と云うことも、つまり御地場に尽した理が現れて来るのであります。又地場は教祖五十年の理の伏せ込んである所でありますから、お地場に現れて来ることは、みな神様がおさせになるのであります。
神様は「屋敷から打出す言葉は天の言葉」と仰せられてある如く、お地場に現れて来ることは、みな神様に旬時をもっておさせになるのであります。ですから、御地場に現れてくる事に力を入れて、これをなし上げるのが私等の勤めであって、これが天理王命に尽す理であります。
この地場から流れた理に無理があると思うのは、我が心に勝手があるからで、あります。神様の言葉に無理はないのでありますが、我が身から思案するからそれが出来ないのであります。めい/\から思案をするからそれが出来ないのであります。めい/\から思案をする時には、地場から流れる理が無理の様に思へるのであります。けれども、教祖在世中は何事によらず教祖自らが試してから、世界にお説きになったのであります。それで神様の仰せに無理はなのでありますが、行へんとか通れんとか云うのは、みなめいめいの心が行はないのであります。
故にめい/\の難儀苦労の云うことは、皆自分の心から出るのであります。でどんなことであっても地場から出る言葉、地場の理に添わして貰うと云う心でなければならないのであります。御地場の理の添って行くから末が栄えるのであります。又一面お地場は因縁の報じ場所であります。又地場に現れてことは旬刻限の理によって現れるのであります。人間がしようと思っても、旬が来なければどうすることも出来ないのであります。
この道は教祖によって開かれてから八十三年になりますが、教祖御在世中に「七十五年経てば日本国中道あら/\」と神様が仰せられていますが、その七十五年の年限はもはや過ぎ去って、今日では日本国中何処からでお地場へ帰る道はついています。けれども道はこれで仕舞ではありません。神様は「それから先は世界すみからすみまで」と仰せられてあります。それで道がつきかけてより七十五年経ってから、朝鮮満州支那と方々に教会が出来だしたのであります。只今朝鮮にでも三十餘ケ所に教会がありますが、なほこれからは道は、世界すみからすみまで広がって行くのであります。その前途は洋々としているのであります。この神様の御心を神様は如何にして働かされるか、即ち誠の精神のある者を足場として働かれるのであります。
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