(二)
人のことを聞いてそれを気にしているより、仲良く暮した方がいくら良いか判りません。疑いや誤解と云うこと程、怖ろしいことはありません。誤解からは色々な間違いが出来るのであります。それを取去った心が極楽であります。心の底から喜びが出来るのであります。それを取去った心が極楽であります。心の底から喜びが湧いて出るのが、神一条の道、神一条の世界であります。心の底から喜びが湧いて出るのが、神一条の道、神一条の世界であります。神一条の道から云へば、凡てが一つになるのであります。例へば一つの島にしても、海をへだてて見える処から云へば、離れていますが、海底から云へば一つの大地に連なっているのであります。一度神の世界へ入ると凡てが同じであります。自分も他人も同じ生命に根ざしているのであります。その心持で、総ての人々に対して、真に同情心に湧かねば本当にお助けは出来ません。あの人は因縁の悪い人だと思うのでは駄目であります。人の苦しみが、そのまゝ己の苦しみになって、苦しみの感情が己から湧く様になれば、人は幾らでも助かって行くのであります。
一体教会などは、本当のお道から云へば、無くても良いのであります。教会や教師は世界が許さないので、世界への道として許されたのであります。教導職が人を助けるのではありません。誠の心で助かるのであります。話をしても蓄音機の様な話では何にもなりません。本当を云へば話などせなくてもよいのであります。私が教会を持っていました当時、教会の青年が大熱で苦しんでいましたので、私は「馬鹿」と怒鳴ったのです。するとスット熱が下がったのであります。これは何故助かったのか、その時は判りませんでしたが、後で聞くと馬鹿と言われた時に、しまったと思った。そしてそれから熱が下がって助かったと云って居りました。
お道の尊さは人を助けることにあるのであります。人間は命よりも大切なものではありません。早く極楽へ行きたいと云っていても、さて殺すと言はれると、一寸待って貰いたいとなるのであります。この間もある英国人の話に、英国も天理教の教理に似た宗教はあるが、お助けだけはどうも判らぬ、お助けだけは天理教の布教で依るより外はないっと云っていました。船場から英国に布教に行った赤木さんが、日本へ帰った時に、くしゃみが出て止まりません。どんな医者に掛かっても駄目だったのです。その時父が行って役員を集めてひどく叱ったらスット治ったと云うことですが、病人に一口も話をせずに、医者にも判らん病気が治ったのであります。こゝが天理教の価値のある所であります。今後もお道は助け一条で、発展するより道はないのであります。基督や釈迦にも奇蹟あったが、他の人にはこれが出来なったが、天理教ではそれが出来るのであります。早く云へばこれは天理教の専売特許であります。
★十柱の神々の守護の理と御心を知るとが大開運と健康増大に直結する。
⇒十柱の神の守護の理と八つのほこり
★【門外不出資料】
教祖140年祭、三年千日記念
★大正時代の別席講和(国々所処の手本となることが用木の目指す心得)
信心というは日々の心の勤めを言う。拝む事にあらず。心の勤めというは身の勤めその勤めは日々家業大事道正直が一の勤め、内々睦まじく互い互いの孝心の理が第一。二つ一つの理をめん/\が心の理に治めて、何時/\までも変らんよう。世界から見て感心、聞いて感心する様に運ぶが第一の信心という。この世の元々真実の両親は天の月日様なり。世界中の人間は皆親の子、一列は皆兄弟なり。身の内は神の貸物、心で日々思うだけの理が我が物であるから、皆々互いに、しんの心から誠をつくして親切に助け合いをして暮せば、しんの兄弟というなり。
★天の理
★大平良平資料集
★神の古記
★このやしきもとのかみ/\でてるから
にんげんはじめもとのいんねん⇒第八号欠損しているお筆先の意味とは
★お金と信仰について 百万のものを持ってくるより一厘の心を受けとる。(中山みきの神言集より)
☆やまと探訪☆
NEW★月日神社
☆お筆先第6号52番 伊弉諾と伊弉冊は一の神 これ天照皇の大神宮の解釈
★10月26日秋の大祭記念→十柱の神の御心と御守護
※元の神、実の神々と出会う処→ふるのさとへ!