一家孤独の淋しい中にあって、秀司殿と小寒子様とはよく教祖に事え、その御心を慰めて居られた。が限りなき慈悲の充ちた教祖は、貧困の間にあっても人に恵むを忘れず、在るに任せて施したまうので、最早落ちるに道なきどん底の生活に進み入られた。
秀司様が黒紋付を着て、青物を近村に売り歩き、家計を助けられたもの、教祖が灯すべき油もつき、軒より指す月の光の下で、糸紡ぎをなされたもの、この当時の事である。小寒子様も教祖の手伝いをして家計を助けられた。
教祖が晩年その当時を回想して、鼠一疋も出て来なかったと仰せられたが、この一言に徴しても、如何に窮迫して日々地を送られたかを、察知するに難くない。
月光の冴夜、荒れ果てたる屋敷跡を眺められた時、教祖を始め秀司殿小寒子様が、如何に無量の感慨に咽ばれたことであろう。昨日は豪家に人となり、今日はどん底に生活を送る、神命の厳なる、末代のその光は輝かねばならぬ。
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