増野鼓雪と天啓

増野鼓雪の書き残した文章を通じて真実の天啓を探求していく

2022-01-01から1年間の記事一覧

明日の道(一)

人間は一日先の事を予見する事が出来ないのみならず、一時間後の事も誰も分かるのであります。故に人間の将来と云うのは、唯神様のみが知って居られるのであって、如何なる人もその秘密を、窺い知った人はないのであります。この意味に於いて、人間は暗黒の…

夢と月日(二)

又私の経験から申しますと、教会を私が独断で移転する手続きをして本部へ来た所が、支庁長がどうしても許してくれない、それで大変困って居たら、その夜御本席の夢を見ました。その時さあ/\許してやるで/\、私が許してやるでと仰せになりました。ところ…

夢と月日(一)

夢と云うものは人間が見ようと云うて見られるものでもなければ、見まいと思うても見るものであります。その夢を学者は、潜在意識が寝てから働いて、意識に上って来るののであると申しまするが、然し左様だからと云うて、自分の思う通りに夢を見る訳には行き…

心尽くしと神意(二)

こう云う訳でありますから、人間自身の考えで善い事であるからと云うて、それが直ちに神様の心に適うと思うてはなりません。人間から見て善い事であっても、神様から御覧になればそれが悪いものもあれば、人間から見て悪い事が、神様から見て善い事もありま…

心尽しと神意(一)

このお道の人が難儀をして、人を助けに歩くのも、教会で日々勤めをして居るのも、要する所は自分の心を神様に受取って頂く為でありまするが、目当とする所は神様より外にないのであります。従って働く理が、神に受取って貰はれなかったら、それは何の甲斐も…

油断は隙(二)

そこでその心の隙と云うのは、何であるかと申しますると、心の動く事であります。真剣勝負の時に、少しでも相手を切ろうとか負かそうと云う心が出たなら、その瞬間に自分が切られてしまうのであります。これは即ち心が動くから、隙が生じるのであります。故…

油断は隙(一)

普通世の中では、一寸先は暗の世と云うて居るのでありますが、誠に其の通りであります。一時間後に如何なる事が、我々の身の上に現れて来るか、これは誰しも分からぬのであります。然し如何なる事が我々の前に現れて来るにしても、それは外から来るのでのは…

人間の掃除

神様は人間の様に、言葉がありませんから、世界の人間の心の掃除をなさるにも、言葉で云う事は出来ません。そこで事実を以て、御知らせ下さるので、それが人間に取っては、病気となり災難となり、事情になって現れるのであります。故に左様した事が身に現れ…

不思議な助け(ニ)

然らば実の助けとは如何云うものであるかと申しますると、これは人間の真実を神様に受け取って頂いて、其の理の上から御助けを頂くのであります。 故にこの助けが出来てこそ、始めて自分の力で人を助けたいと云えるのであります。然るに布教に出た当時、不思…

不思議な助け(一)

神様のこの道を御付け下されたのは、云う迄もなく人間が難儀苦労して居るのを助けたいと思召したいからであります。そこで人間から考えたら、如何しても助からぬと思われる様な病気や、如何しもて治りそうもない事情を治める道を御付け下されたのであります…

道は我が事(二)

それ故我々が教祖の理を生かして行くには、我々がそれを行うて行かなければならぬものであります。それには教祖を天理教の教祖とせずして、我々がこの世へ生まれて来て、苦しむのを助ける為に、教祖があの道を御通り置き下れたのであるから、自分は是非あの…

此の道  道は我が事(一)

人間が此の世に於て、何が一番大切なものであるかと云へば、その人々の依ってそれぞれ答が違うであろう。けれども如何な人にも、共通して一番大切なるものは、自分の生命であります。何故なら凡そ世の中にあるものは、自分が生きて居るから価値があるので、…

文句かえたい

人間の心というものは、神様から御覧になれば、殆ど泥水の如きものであります。何故ならば人間の心には慾の心が、充満しているからであります。道を信仰して朝夕に自分の心を、真実にせなければならぬと思うて居る者にさへ、時には表へ現せない様な、埃の心…

天地は実親

人間の親と云えば両親より無い筈であるが、然し此の両親は単に生みおろし育ててくれた親であるから、神様は仮親と云われたのであります。何故ならもし親が自分の子供を自分の力で造ったのならば、親に孝行な好い子を造るべき筈であるが、事実は中々左様は行…

根の力(二)

しかしこれは余事でありますが、とにかく神様は随時随時に現れて、子を守って居られた事は明らかであります。所が約束の年限が来たので、此の道を始める為に、神様が何れも元の屋敷に、お帰りなったのであります。そしてこれからは木の根、即ち日本の国の価…

根の力(一)

外国と日本とを、一本の木に例えて、外国は枝先であって日本は根の国であると、教祖は仰せられたのは、皆知って居る通りであります。その木の根をさかえ現すと仰せられるのは、日本は世界の根の国でると云うことを、次第に世界へ現すと仰せられるので、即ち…

むつかしい道 

神様の道は仮名に仮名を付けた様な、やわらかやさしい道であると聞かして貰うて居るのと、難しい道とは大変な相違の様に思われるのでありますが、これは二つの事を一つにして考えるから、違って来るのであります。何故と申しましたら、神様の御説き下される…

人類の親

ご教祖の最初の思召から伺うと、御在世中、に甘露台を建てて、その台によって世界一列を澄す思召しであったのでありまります。然るに後に模様がかわって、世界を澄してから、甘露台を建設せられる事になりました。 そこでじきもつというのは、如何いうもので…

神の仕事

神様は親が我が子を思うのと同じで、助けたい一条の御心で居られるのでありますから、人間に難儀や苦労をかけたいと云うお心、少しもないのであります。 然るに、人間の世に苦しみが耐えないと云うのは、神様の思召に適う心使いをせぬ所から、我がと我が身に…

病気は手入

同じく此の道を信仰する者でも、其の心に立ち入って見たらば、千差万別であります。其の表麺は真実らしく見えても、心の汚ない者もあれば、心は真実でも、表は無骨な者あります。従って心を見通しなる神様から見られたらば、色々違って見えるから、手入する…

神人の和合

神様が人間をお造りになったのは、云う迄もなく人間が陽気に暮らすのを見て神も共に楽しみたいと云うお心からであります。故に人間が心を陽気に持って暮らのすのが、何より神様の御心に適うのであります。所が人間は日々陽気の頃で暮らす事が出来ない。見て…

悟得と神意

胸が分かると云う事は、大体に於て二つに分けて考える事が出来るのであります。其の一つは神様の胸と云うのであって即ち道を聞き分けて来たならば、次第に神様の思召が会得せられると見るのであります。今一つは、胸を各自の胸と見るのでありまして、自分の…

真実と守護

神様が在るとか無いとか思う人がありますが、これは要するに真実が無いからであります。神様の御言葉に、無いと云へば無い、在ると云へば在る、願う誠の心より見えて来る利益が神の姿やと仰せられたことがあります。 即ち神そのものは無形のものでありますか…